寒ブリだけじゃない氷見のまちと暮らし マチザイNo.4

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まちかどに漂う漁師町の営み

富山県内に住んでいると、スーパーの鮮魚コーナーで「氷見漁港」のラベルが貼られた刺身パックをよく見かけます。県民はそのラベルによって、氷見の存在感を無視できなくなるようになります。
実際に氷見に出かけてみると、漁師町の営みが漂うフォトジェニックな場面を惜しげもなく提供してくれることに感激します。きっと写真好きにはたまらないかも。フツーに民家の軒先に、青い干し網がぶらさがっていて、小魚の干物をつくっていたり、魚屋さんの店先に沢山の干物が並べてあったり、猫がそれらを狙っていたりと、絵に描いたような漁師町の光景を見ることができます。ちなみに、魚まるごと、たまに魚の切り身が空から降ってくることがありますので、お気をつけください。冗談ではなく、鳥がついうっかりクチバシをすべらせて落とした彼らのエサです。

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北陸の、寒ブリの、アノまちですよね?

氷見の知名度は、寒ブリに集約されます。寒ブリのお陰で、北陸にある人口5万人に満たないまちとは思えないほどの知名度です。北陸新幹線の開業によって「富山県にある氷見市」というところまでは、関東方面の方々に認知されたはず。この地を訪れる多くの観光客は、日本海を望む旅館に泊まって、美味しい海の幸を頂くのが目的です。お天気に恵まれて、富山湾越しの立山連峰が見れればラッキー、といった具合でしょうか。
上の写真は、海浜公園の展望台から立山連峰を望む早朝の風景です。この日はそのラッキーに出会うことができましたが、毎日の生活のなかに、この風景があったらと思うと鳥肌が立ちます。ここは「地球」という存在を立体的に意識できる場所でした。

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キラキラと黒光する街並み

海岸からちょっとだけ内陸に移動するとこんな光景に出会うことができます。漁港からわずか500メートル、朝日山という、突如として盛り上がった丘から見るこの景色は、氷見の街並みの特徴そのものです。小さな町家が密集して、間口の広さや屋根の高さに微妙なバラつがあって、一定のリズムを刻んでいます。その屋根には釉薬をかけた能登瓦が乗せられ、光量の少ない冬の曇り空でもキラキラと、日差しの強い晴天にはギラギラと、まちのアイデンティティを発信しています。新湊ではあまり意識できなかった光景にココロ踊りました。氷見に来るまでは、漁師町という印象が強いまちでしたが、その風情はごく一部の地区に留まっていて、立派な寺や神社が多く点在し、街道文化も香り立っている、そんなまちでした。

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九龍城を連想する光景

氷見市の中心部では、こんな光景に出会うことができます。ここは約2km続く商店街通りの一部を、鉄筋コンクリート造のビルにしてしまい、防火帯を築きあげている場所です。写真はその建物群を裏側から見た様子です。表の通りから見ると、ツラの揃ったビルに見えますが、その裏側には既存の木造住宅での暮らしが残っていたりで、それぞれの敷地でそれぞれの折り合いをつけているため、このような光景になっているようです。

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パターン化できないデザイン

小さな入母屋に、むくり屋根、後付けと思われるモルタル仕上げの木造民家は、いったい何風を目指したデザインなのでしょうか?!このただならぬ雰囲気は、この時代における超越モダンなカッコいいデザインです!氷見には、こんな雰囲気の木造モルタル仕上げの昭和レトロな民家が多く点在しています。昭和13年の大火によって、市街地の多くの建物が焼けてしまったため、築100年を超える歴史的な建築物は、この辺りであまり見かけることができません。しかし、ある一定の時代の町並みがしっかりと群を成して残っていて、氷見らしいアイデンティティを発信していることは間違いありません。


明石 博之

[組織] グリーンノートレーベル(株)
[役職] 代表取締役
[職業]場ヅクル・プロデューサー

1971年広島県尾道市(旧因島市)生まれ。多摩美術大学でプロダクトデザインを学ぶ。大学を卒業後、まちづくりコンサル会社に入社。全国各地を飛び回るうちに自らがローカルプレイヤーになることに憧れ、2010年に妻の故郷である富山県へ移住。漁師町で出会った古民家をカフェにリノベした経験をキッカケに秘密基地的な「場」をつくるおもしろさに目覚める。その後〈マチザイノオト〉プロジェクトを立ち上げ、まちの価値を拡大する「場」のプロデュース・空間デザインを仕事の軸として、富山のまちづくりに取り組んでいる。

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