海運と漁業で栄えた新湊内川の風景 マチザイNo.1

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内川沿いで奇跡の湊町風景と出会う。

富山県にIターンしたことをキッカケに、終わりのないマチザイ発掘の旅がはじまりました。その旅で出会ったのが、射水市の新湊地区を流れる内川(うちかわ)という舟運河です 。 ここは戦前からの湊町風景が残った奇跡の場所です。川のゆるいカーブに沿って几帳面に並んでいる定置網漁の漁船、そして15本の個性豊かな橋たち。街並みに目をやると、傾きながらも寄り添いながら建っている漁師さんの番屋や町家造りの民家が所狭しと建ち並んでいます。そして、足元に注意を払うと、水面までの距離の近さに驚きます。 それぞれの絶妙なバランスによって創り出された、この奇跡の風景に“やられて”しまったのです。

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その昔、富山県の政治と経済の中心だった?!

このまちの歴史を調べてみると凄いことがわかった。内川は、中世の時代から変わらぬかたちで、この川の流れを維持しているらしいのです。しかも、ここに越中守護所が置かれていたそうです。守護所と言えば、今で言う県庁所在地のような位置付けです。江戸時代に入ると、北前船の寄港地として栄え、物流や経済の中心地となりました。内川が流れる放生津地区にお寺や神社が多いのは、そういった背景があるからだそうです。歴史を知れば、漁師町に蔵付きの倉庫があることに納得がいきます。最初は混同してしまいましたが、漁師の番屋(作業小屋)と物流の倉庫(蔵がある)は異なるものなのです。

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日本海の特徴が実感できる川。

内川は、厳密に言えば「川」でなく「運河」なのです。東西の両方の口が、海につながっています。今では、庄川に向かって延長されたお陰で、川に流れがあります。そして、内川の東側にあるベンガラ色の東橋(あづまばし)を境に、東が普通の港湾区域、西が漁港区域となります。よく見てみると、漁船は東橋から西側にしか係留していません。その昔は、物資を積んだ木造船が所狭しと往来していたに違いありませんが、そもそも港として発展したのには理由があります。日本海側は、太平洋側よりも干満の差が少なく、港を造りやすいから、と言われています。確かに、内川の護岸を見ると、干満の差はせいぜい50〜60cmくらいです。水面までの距離が近いと思うのは、満潮時の「すり切りいっぱい」感だけではなく、水面があまり下がらないからなのですね。

ここにしかない風景だと自覚しよう。

地元の人に、この土地の魅力を伝えようとするときは、印象的ではなく分析的なアプローチが必要です。「水面の近さ」の説明もその1つです。

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明石 博之

明石 博之

[組織] (株)地域交流センター企画
[役職] 代表取締役
[職業]まちづくりコーディネーター

1971年広島県因島市(現尾道市)生まれ。多摩美術大学でプロダクトデザインを学ぶ。大学を卒業後、株式会社地域交流センター企画に入社。東京を拠点に、全国各地のまちづくりプロジェクトのコーディネーションを行う。2009年に同社の代表取締役に就任。2010年に妻の故郷である富山県へ移住した以降は、自らがまちづくりの主体者として、歴史的建築物などの地域資源を活用した社会的なしくみづくり、ソーシャルビジネスの事業化に力を入れる。

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