富山市のまちなかに、喜代多旅館がついにオープン

喜代多旅館の三代目女将、濱井憲子さんにお会いしたのは、2015年7月のこと。
それから、あっという間に月日は流れ、気がつけば、もう4年が経過していました。「あっという間」と言ってみても、その間の時間には様々なドラマがありました。誰かに、何かに試されているのかと思うほど、次から次へと問題が発生し、思案と決断の連続でした。
工事が始まってからも、本当にオープンにたどり着けるのか、確信を持つことはできませんでした。

でもついに、2019年10月、オープンを迎えることができて、心の底から安堵しました。当事者である濱井さんが抱えるものの大きさや重さに比べると大したことはありませんが、主体者とは異なる役割で、別の物差しを持って、別の責任を果たしてきて、ここに到達できたのが奇跡のように思います。

オープンセレモニーでは、今までの事を思い出し、感極まり、締めの挨拶で泣いてしまいました。いや、お恥ずかしい…。

写真は、リニューアルオープンした喜代田旅館の玄関です。以前の雰囲気を残しつつ、新しいデザインと素材のコラボレーションによって、新たな価値を付与された建築となりました。

こちらは、1階に新設したレストランの入り口です。予算がどんどんオーバーしてくるなか、低予算でつくった内照式看板は、元々あった建築の力強さに助けられたお陰で、逆にいい雰囲気を醸し出し、リノベーションの真骨頂を見せつけてくれているかのようです。

当初予定していた入り口は、コンクリートの梁の高さの問題によって、プラン変更。最終的には建物の脇の通路から入ってもらう事になりました。これもまた、リノベーションの予期しなかった「良き」結末です。(失礼、図らずとも駄洒落になりました…)株立ちの植栽デザインも、この雰囲気づくりの貢献に一役買ってくれています。

ギリギリになって決まったレストランの運営者は、以前から交流のあったシェフの方。何人もの方にあたってみましたが、ここの事業規模が帯に短し、たすきに長し、ほとんどの方が、どうもシックリ来なかったようです。でも、結果的に元「ビストロボングー」のオーナーシェフである林さんとのご縁によって、こうしてレストラン部門をオープンすることができました。新しいお店は、「ビストロカドゥー」です。喜代田旅館の雰囲気にぴったりのお店になりました。

三代目女将であり、喜代田旅館の運営会社、株式会社リベルダージの代表でもある、濱井憲子さんです。
ここは、宿泊客が自由に利用できるキッチンコーナーです。実はここ、僕にとって非常に思い出が深い場所。以前はラウンジとして利用されていました。ここで、あーでもない、こーでもないと、旅館の構想を練った”作戦室”みたいな場所でした。ここでの時間があったからこそ、今の喜代田旅館があると言っても過言ではありません。

この場で、様々な人たちの意見にときめいた思い出や、融資を断られて、どん底んに落ちてしまった思い出など、本当に長い長い時間を過ごした場所です。

私が、この方から学んだことは多い。プロジェクト全体として、100人を超える人たちが関わってくれたわけですが、その人たちの誰に対しても「ありがとう」という気持ちが発せられ、何が起こっても決して人のせいにしないのです。すべての問題は私のせいだ、と言わんばかりの対応に、多くの人が不意打ちをくらい、心改める場面を見てきました。

すっかり変わったロビー空間です。靴を脱いで、スリッパに履き替えてから入館してもらいます。これは日本旅館の特徴とも言えるスタイルです。旅館とホテルの差はここにあると言っても過言ではありません。靴のまま部屋に上がり、なんなら、ベッドに靴のままダイブする文化の国の人から見ると、実に不思議な体験ではないないでしょうか?

どのスリッパも、とくに誰のものでもなく、玄関という公共性の高い空間で脱いだ靴の行方も気になることでしょう。

今回のプロジェクトは、設計担当以外に、空間デザインをディレクションする立場のデザイナーが入っています。この規模になると、そういった担当の方がいなければ、プロジェクトが前に進みません。プロデュース目線を持ちつつ、設計者の都合も考えることができる貴重な役割です。

プロデュースチームとしての濱井さんと私、前者の視点を持ちつつ空間デザインを担当したtonoの小野さん、そして設計事務所のエイバンバさん。それぞれの責任を全うしつつ、異なる視点や視座で発進される提案は、それぞれのプレゼンスを尊重するかのごとく、いいコラボレーションを生み出してこれたと思います。

写真の奥に見える、「喜代多」という立体文字は、元々外壁に貼られた看板文字でした。ロビーに富山らしさを、と考えられたのがカウンターテーブルの立ち上がり面に施した高岡の工芸です。真鍮板に銀の着色をしたもので、高岡の四津川製作所に依頼しました。

こちらは、ロビーカウンターの中から見た様子。正面の真ん中に見える先がレストランです。そして、右に見える鉄骨の補強がある壁は、増築を繰り返した歴史を物語る場所です。壁に打ち付けられた鉄板の下にはトイレの窓がありました。増築したときに隠された場所を、またほじくり返して見せびらかせたという壁です。歴史を語るには、もってこいの場所です。

そういえば、2020年の東京オリンピック特需により、全国的な鉄骨不足になったそうですが、このプロジェクトも例外なく鉄骨や鉄ボルトが足りない問題が発覚して、工期に多大な影響をもたらしました。

今回、1階から3階までのエレベーターを新設しました。しかし、元々あった階段は現役で活躍してもらいます。床のタイルを剥いだまんまの仕上げで、滑り止めの金属プレートを貼っただけの階段です。こんなシンプルで、簡素な仕上げで良いのかと悩みましたが、結果的には誠にちょうどいいバランスを保った空間になりました。滑り止めの金属プレートに反射した照明の明かりが素敵です。

ここで注目したいのは、階段の手すりです。なんてことない手すり??と思われるかもしれませんが、今や工業製品でしか存在していない部材になりつつあり、大工さんの仕事か、家具屋さんの仕事か、微妙な領域であると言っても過言ではありません。

客室です。ここは3タイプあるうちの一番広い部屋です。トイレもお風呂もない、伝統的な日本旅館の部屋です。間取りは以前のままで、壁や天井の仕上げと断熱処理をした以外は大きな変更はありません。これをどう捉えるか、とっても、とっても難しいお題でありました。しかし、トイレやお風呂が部屋の外にあるメリットを考えると、単なるマイナス要素でもないと考えました。用事が部屋の外にあり、そこで他の宿泊者との接触があり、干渉があるということを非日常の体験と考えれば、旅の思い出の1つとなります。予定調和で、思い通りになる時間ではないことに、新鮮さを感じる人もいるのではないか、と思ったのです。

実際に夫婦で泊まって体験した結果、わざわざ部屋の外に行って用を足す行為が、いちいちイベントチックで新鮮でした。一緒に泊まっている連れに迷惑をかけることなく、自分も気にすることなく用を足せるというのは、プラスの要素もあると実感しました。部屋は、あくまでも静かに、ゆっくりと雑音もなく過ごす空間と思えば、そのコンセプトを揺るがすトイレやお風呂は、部屋の外にあっても良いんじゃないかと思ったのです。

この欄間のデザインは、喜代多旅館のロゴマークにもなっています。こういった各所の素材は、リノベーションで残したときに威力を発揮してくれるのです。新しい部材の入れ替えや仕上げの変更があった場合でも、元の手仕事部分があることで、相互引き立てあうデザインになります。

このような「手しごと」に出会ったとき、いつも考えることがあります。50年以上の昔、手間よりモノのほうが高かったんじゃないかと思うのですが、今は逆にモノは安いが手間が高い、のです。だから昔のほうが、手間のかかった建築が残っているんじゃないか、という仮説です。これもその1つ。同じような欄間を作ってほしいと職人さんに頼むと、手間の分だけ割高になります。

各客室の床の間には、草花を使ったデザインを得意とするアーティストの藤木卓さんの作品を配置しました。今回、はじめてコラボしましたが、こちらもあらためて思ったことがありました。

和室(日本伝統建築)は、建築単体では未完成の状態であって、そこに花やお茶、和装の人間が居てこそ、空間デザインが完成するんだなと。だから、和室は質素で、シンプルで、包容力があるのが正解!と思います。和室の客間に、何かが足りないと思っていたのは、まさにこの作品でした。

以前は<こんな場所(マチザイノネタ)>でした。この場所は、喜代多旅館のアイデンティティを感じる場所です。リノベ前のこの場所には、レトロな革のソファーが鎮座し、小さな冷蔵庫や電気ポットが置いてあって、wifiがつながりやすい場所として、人気の場所だったようです。連泊している人たちが、買ってきたペットポトルや食品のパッケージに名前を書いて冷蔵庫に入れていたのを思い出します。

部屋に籠るのではなく、半強制的に?半無意識に、供用スペースを利用し、そこで数々の「何か」が生まれた歴史を持っているのだと想像します。家族が集うお茶の間=供用スペースで、客室=子供部屋のような関係で捉えてみると、それぞれの役割と価値が見えてくるような気がします。

書いている途中で、ヤバイと思いました。この規模のリノベ物件の記事を書こうと思ったら、物凄いボリュームになります。今まで通りの感覚で伝えたいことを拾って、思うがままに綴ってしますと、読み物としては無駄に文字数が多い記事になってしまいます。

その気付きを考慮して、ユニバーサルルームは簡潔に紹介しようと思います。喜代多旅館のウリの1つは、ユニバーサルの観点です。女将の濱井さんは、車椅子の人が介助者同伴で快適に過ごしてもらえる宿にしたい、という思いをもって事業を進めてきました。1部屋だけですが、トイレとお風呂が客室内にある部屋があります。しかも、トイレは車椅子対応のもので、お風呂は介助のことを考慮した設計のユニットバスを導入しています。

ここは2階のラウンジコーナーです。宿泊者が自由に使って頂ける場所です。客室の空間だけに留まらず、様々なシチュエーションで、様々な場所を活用してもらうよう考えた空間の1つです。例えば、2つ、3つの部屋に分散して泊まっている1つのグループが、ラウンジに集まって会話をするような使い方が想定されます。

また、旅館の浴衣に着替えた見知らぬ宿泊者同士が、程よい距離感を保って同じ空間を共有する時間も、旅の特別な体験になると思います。

かつては宴会場として使われていた大広間も健在です。なんと、大広間も「1部屋」としてご予約して頂きます。畳の部屋に最大10名まで泊まることができるので、それはもう合宿気分です。すでに会社の研修会として利用されたそうです。敷かれた布団と布団の間には、白いスクリーン(上部はスリットが入っている)を設置して多少のプライバシーを確保するように考えました。

そうした使い方をした場合、さきほどのラウンジは、話をしたいチームと、さっさと寝たいチームにわかれて時間を過ごすことができます。

こちらは2階にある共同浴室です。以前とは違う場所に新設して造った浴室なので、けっこうお金がかかっています!その甲斐あって、とても広々気持ちいい空間になりました。天井から滴が落ちてこないようにという機能性も兼ね備えたデザインの船底天井に、ちょっと腰をかけて休めるベンチ、肩まで浸かれる深さの湯船など、色々な工夫をしてあります。

こことは別に小さな共同浴室が1つあります。その他、24時間使えるシャワー室(4ブース)もあります。その日の宿泊者の状況によって、男風呂と女風呂の場所を変えたり、時間帯で変えたりもします。

長い文章ですみません!もう少しお付き合いください。ここは、1階の半分の面積を使って新設したレストランです。元々旅館の厨房とお風呂があった場所です。この旅館は、増築と増改築を繰り返し、建物の右半分と左半分の建築年代と造りが異なります。

レストランのある空間は、元々“1.5階”とも言える床の高さの場所と、1.5階を吹き抜けにした場所がありました。その両方の場所をつなげたため、レストランの2階部分の梁が非常に低く、気を抜くと頭をぶつけてしまう可能性があるくらい中途半端な2階空間となりました。しかし、出来上がってみると、梁の低さはデザイナーたちの工夫によって、見事にプラスの印象に変わっていると感じます。

写真の奥に見えるのも、藤木卓さんの作品です。コンクリート躯体が剥き出しの硬い印象の空間が、かなり和らいだと思います。

レストランは、宿泊部門とは分離した運営をすることにしました。旅館に泊まっていない人でも、気軽に利用してもらえるように、入り口は別にして、朝7時の朝食から、夜はディナータイムの22時まで営業。案外、こういう飲食店は富山市内に多くありません。ここでは、レストランに来る地元のお客さんが、宿泊者にとっての「体験」となります。浴衣を来た宿泊客(観光者)との出会いも、地元の人にとっては新鮮な体験ではないでしょうか?

運営は、富山県射水市の櫛田地区で一軒家のフレンチレストランを経営されていた、林さんご夫婦です。以前から交流のあった方ですが、絶妙なタイミングでのご縁でした。僕ら夫婦が久しぶりに、林さんのレストランにランチを食べに行ったとき、店の移転先を探しているという話を聞きました。ご主人は、ホテルレストランの経験者で、パンやケーキづくりから料理の世界に入ってきた方なので、このレストランのコンセプトにぴったりです。

写真はディナーのアラカルトメニュー、約400gの「Tボーンステーキ」です。たっぷり2人用のボリュームでした。焼きたてパンとオムレツ、新鮮なサラダが添えられた、モーニングプレートも最高でした。

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喜代多旅館/ビストロカドゥー

〒930-0083 富山県富山市総曲輪1-8
TEL:076-432-9131(旅館)/076-482-4152(レストラン)
MAIL:contact@kiyotaryokan.jp
WEBページ:https://kiyotaryokan.jp/


明石 博之

明石 博之

[組織] グリーンノートレーベル(株)
[役職] 代表取締役
[職業]場ヅクル・プロデューサー

1971年広島県尾道市(旧因島市)生まれ。多摩美術大学でプロダクトデザインを学ぶ。大学を卒業後、まちづくりコンサル会社に入社。全国各地を飛び回るうちに自らがローカルプレイヤーになることに憧れ、2010年に妻の故郷である富山県へ移住。漁師町で出会った古民家をカフェにリノベした経験をキッカケに秘密基地的な「場」をつくるおもしろさに目覚める。その後〈マチザイノオト〉プロジェクトを立ち上げ、まちの価値を拡大する「場」のプロデュース・空間デザインを仕事の軸として、富山のまちづくりに取り組んでいる。

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