きよた旅館、待ちに待ったリノベーション工事が開始

2018年12月からリノベーション工事がスタートして、現在は内装や不要な壁の解体をしている途中です。施主であるリベルダージ代表、濱井さんとの出会いが約3年前、当時のことを振り返ってみると、今こうやって、工事にたどり着けているのが夢のようです。

いや3年前どころか、1年前も同じ気持ちでした。限られた予算と、高騰する工事単価の折り合いがつかず、しかも、省エネ補助金を取る取らないで方針が揺れ、関係者が疲弊してしまった時期がありました。でも、全員野球で乗り越えてきました。正直、もうダメかと思った瞬間もありました。だから、工事している光景そのものが、私にとって眩しい光景…っていう変な気持ち。

いいですねぇー、たまりません。躯体むき出しの空間は、アーティスティック。創造の泉から、噴水が吹きあがりそうです。

ここは、玄関を入ってすぐの場所。かつて、この正面に受付カウンターがありました。万人の出会いと別れが繰り返し、繰り返し、行われてきた交差点です。リノベしたあとも、ここが受付カウンターとなるので、交差点の歴史を継承していく場所です。

この日、空間デザインをディレクションしている小野司さんが、現場見学ワークショップを開催。県外から建築関係の人たちが来ました。その様子を撮影しているのが、地元テレビ局。きよた旅館のリノベプロジェクトを密着してくれるそうです。

内装の厚みって、けっこうあるもんなんですね。壁をはがすと、随分と空間が広くなりました。単なる印象ではなく、確実に広くなっています。

こちらは、2階の大広間です。畳の間のまま、ドミトリー的な利用を考えている場所です。かつては、宴会場としてよく利用されていたと聞きました。一部の部材は再利用します。また、「壊さない」も予算削減の選択肢なので、現在の仕上げの上に、さらに新しい建材で仕上げる箇所もあります。

床に見える四角い部分は、エレベーターピットを新設するための穴です。以前は、エレベーターがなく、お客さんは、重い荷物を持って階段を上がるしかありませんでした。今回のリノベーションのコンセプトの1つに「ユニバーサルデザイン」があるので、エレベーターの導入はマストでした。

ちなみにここは、僕にとって、もっとも思い出深い場所です。資金調達の目処が立っていない段階で、ああでもない、こうでもないと、濱井さんと何度も議論して、リノベーションのコンセプトを練り上げてきた場所で、当時、模造紙がたくさん貼られていた壁でした。

調理場と、バーカウンターがあった場所は、広々としたコンクリート躯体の空間になりました。奥に見えるコンクリートの壁も壊して、もっと広い空間になる計画です。ここは、レストランとしてオープンする場所です。詳細な計画は今から。

リノベーションの価値は、当然ながら古さを活かすことです。経年変化を綺麗な処理で隠してしまうと、もったいないし、リノベの魅力も半減してしまいます。この空間は、古さを活かす絶好の場所。動線をスムーズに、機能的で、かつ歴史が染み込んだ質感たっぷりのカッコイイ空間としてよみがえるはずです。

本当に私は不器用です。程よく、適度な、効率良い仕事ができません…。

どのプロジェクトも、いつもこう思います。−自分が事業の主体者だったら、どうするか?
時に、クライアントよりも主体性を持って、分析、検討、企画、デザインする必要があると思っています。それが私の存在価値です。

今のきよた旅館は、まちなかの、繁華街の、忘れかけられた風景のなかにある存在。あえて、難しいリノベーションという選択をしたからには、事業が成功してもらわなければ困ります。未来のリノベーションプロジェクトの模範となるように。協力してくださった、多くの方々の自慢となるように。


明石 博之

[組織] グリーンノートレーベル(株)
[役職] 代表取締役
[職業]場ヅクル・プロデューサー

1971年広島県尾道市(旧因島市)生まれ。多摩美術大学でプロダクトデザインを学ぶ。大学を卒業後、まちづくりコンサル会社に入社。全国各地を飛び回るうちに自らがローカルプレイヤーになることに憧れ、2010年に妻の故郷である富山県へ移住。漁師町で出会った古民家をカフェにリノベした経験をキッカケに秘密基地的な「場」をつくるおもしろさに目覚める。その後〈マチザイノオト〉プロジェクトを立ち上げ、まちの価値を拡大する「場」のプロデュース・空間デザインを仕事の軸として、富山のまちづくりに取り組んでいる。

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