外国人オーナー、橋のたもとにBARオープン マチザイNo.10

新湊に、が、外国人が移住してきました!!

この超ローカルな港町にとっては、大ニュースです! し、しかも、内川沿いのこの場所にある古民家をリノベして、バーをオープンされるそうなんです!川沿いのBAR…、なんて素敵なんでしょう。

こちらが、通りに面した表側の建物です。二階の建具は昔のまま、町家ならではの雰囲気が残っている貴重な物件です。
ここに移住したのは、どんな人なんでしょ…。移住したのは、米国ハワイ州出身、日本に20年以上住んでいるスティーブンさんです。実は、わたし(明石)の友人で、最初に出会ったのは、もう10年以上も前のこと。東京時代に、ある方を通じて知り合い、わたしが富山に来てからはFacebookだけの交流でした。

玄関に入ってみると、洗い出しの素敵な土間。写真に写っている踏み台をひそかに狙っていたんですが、元のオーナーさんが持っていかれたようです。
昨年のこと、スティーブンさんは、わたしがFacebookで投稿している「内川という場所」に行ってみたいと思い立ち、突然遊びに来てくれました。これだけでも驚きだったんですが、まさか、移住してくれるとは…、人生って、ドラマティックです。

表通りから内川までつながった貴重な町家

ミセノマから入って、こちらはオイノマです。立派な差鴨居(梁)ですよねー。
さっき「まさか」って言いましたけど、スティーブンさんが来てくれることを期待していた気持ちがバンバンにあって、この素敵なまちをわたしなりにプレゼンテーションしたわけです。

内川に、お茶目キャラのアメリカ人が住んでいる日常って、なんだか不思議な気分です。ちなみに、彼の本業は翻訳なので、日本語にはまったく困りません。だから、わたしをはじめ、英語が苦手な人たちにとっては、とてもありがたいことです。

茶室のような造りの部屋があると思ったら、元のオーナーさんのお母様は、お茶の先生をしていたそうです。ここで生徒さんに教えていたのですね。町家ならでは造りなので、まだまだ、奥へ奥へと続いています。

こちらが中庭に面している廊下。表から裏までの距離のちょうど真ん中にあたる場所です。伸び放題の草木によって、カオスな中庭になっています。行き場を失った植木が建物に迫っていて、少々危険な香り。お店をデザインするとき、大きな灯篭は、オリエンタルな雰囲気を出すために一役買ってくれそうです。

中間地点を過ぎて、振り返ってみたときの光景です。特殊なクセを持ったわたしは、壁の化粧板をバリっとはがしてみたい衝動にかられます。

ここに住んでいた家族が、どんな生活をしていたのかなと、勝手に想像するのがいつも楽しみなのですが、こういう時間(儀式)によって、新旧オーナーさんの橋渡しをしている気持ちが高揚してきます。責任感を高める時間と言いますか、ここでスイッチを入れていくのです。

ここがバーになるエリア

台所に到着。建物の造りからすると、もともとここは土蔵の前の通路だったと思われます。スティーブンさんの計画では、ここがバーカウンターから見える場所になります。この時代の建物でよく見かけるのが、模様入りのすりガラス。最初はカエデかなと思ったのですが、イチジクの葉にも見えます。イチジクは「生産」の象徴です。アダムとイブの、あれ隠しです。

このお家には、階段が3カ所あります。その1つ目の階段(母屋)を上がってみますと、ベンガラ色の床の間を発見。金沢のお座敷遊びで見かけるのは、群青色、それと朱色です。別にわたしが遊びに行っているわけではありません。それに対して控えめな?富山では落ち着いたベンガラ色の床の間をよく見かけます。でも、それすらも結構ハイカラなお宅とされています。

中庭の木々は、二階にも迫っております。手すりの模様が可愛らしいです。ぜひとも活かしたいところですが、活かすとなると、それはそれで頭を悩ませます。

二階の通路。光と影のコントラストが美しいです。言い過ぎ? 変態でしょうか…。しっかり塗りこめられた漆喰は、やせておらず、崩れておらず、いい表情に育っております。ここはぜひ、このまま活かしたいところです。

こちらの部屋は、表の通りに面した場所で、10月の曳山祭りでは特等席と化します。木製建具は昔のままなので、ここもぜひそのままにしたいです。計画では、ゲストルームになる部屋です。

一旦、1階に降りて、二か所目の階段を上ります。ここは倉庫として使われていた場所ですが、元々は土蔵を覆う建屋だったようです。

いつもながら楽しい時間、お宝発見?!

空き家を拝見するハイライトの1つがここです。いわゆる骨とう品の部類は、売却したり、どなたかに譲ったりで、大抵はないものです。が、わたしのテンションが上がるのは、昔なつかしいモノたちです。時間が許されるならば、1つ1つ全部見たいくらい。

「ハイ・ママ」ですって!皆さん、ググっても出てきませんから。わたしがイメージする昭和時代というのは、昭和50年前後です。まだまだデザインに迷いと可能性の余地がたっぷりとある時代でした。箱のなかに商品が入っているのかなぁ、気になるー。

で、再び1階へ。右が土蔵を取り壊して、台所とリビングにリフォームされた一角。この空間がバーになる場所です。スティーブンさんがいるバー、楽しみだー。

先ほどのカエデか、イチジクの葉の模様のガラスが、あちらこちらに使われています。

そして、ここが終着点。冒頭の内川沿いの場所につながっています。すぐ目の前が水辺っていう環境は、なんとも贅沢ですよ。この窓でトリミングされた内川の水面が、なんとも美しい。そして、最後の階段へ…。

階段というか、ハシゴですね。この造りは、漁師の番屋だったと想像します。中庭、土蔵、そして番屋というのが、この辺りではお決まりのレイアウトです。では、上ってみます。

予想通りの空間でした。正面に見えるのは、お隣の蔵の外壁です。不思議な造りですが、この建物の壁ではありません。元のオーナーさんの商売道具も沢山ありました。デッカイ倉庫があれば、あれもこれも保管しておきたいものばかり。

まだ、信じられません。この感じ、六角堂を計画した頃の気持ちによく似ています。嬉しい、自分ごとのように嬉しい。


BRIDGE BAR [address:富山県射水市八幡町1-21-5]


明石 博之

[組織] グリーンノートレーベル(株)
[役職] 代表取締役
[職業]場ヅクル・プロデューサー

1971年広島県尾道市(旧因島市)生まれ。多摩美術大学でプロダクトデザインを学ぶ。大学を卒業後、まちづくりコンサル会社に入社。全国各地を飛び回るうちに自らがローカルプレイヤーになることに憧れ、2010年に妻の故郷である富山県へ移住。漁師町で出会った古民家をカフェにリノベした経験をキッカケに秘密基地的な「場」をつくるおもしろさに目覚める。その後〈マチザイノオト〉プロジェクトを立ち上げ、まちの価値を拡大する「場」のプロデュース・空間デザインを仕事の軸として、富山のまちづくりに取り組んでいる。

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