庭師のオフィス&ギャラリー 自分の価値を最大化する空間へ マチザイNo.18
今回は、プロジェクトの具体的な話の前に、久しぶりに投稿したので、最近思うことを書きます。お付き合いくださいませ。で、文中でちょいちょい登場する写真がマイザイNo.18の物件です。
前回の記事、偶然にもちょうど2年前でした。
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いきなり、重い話題から
2020年頃を境に、私の住む町内の空き家事情が、急激かつ突然に、次のステージに突入していることを肌で感じました。全国津々浦々の地域でも、きっと同じような状況になってきているのは容易に想像がつきます。
昭和時代から急激に庶民が「家」を持つようになり、当時の建主もしくはその配偶者が人生の寿命を迎える時期に差し掛かり、その次の世代は戦後の経済成長の最中に、また自分たちの「家」を建て、またさらに次の世代も自分たちの「家」を建て、こうなると「家」は守り受け継ぐものではなく、世代ごとに消費する商品になってしまいました。
あえて、カッコをつけて「家」と書きましたが、それぞれの世代の時代背景によって、それぞれに社会から大きな影響を受けて建築されたため、同じ「家」でも抱える問題の根っこが異なります。だから、あえて一般名詞じゃないように書きました。
まず昭和初期に建てられた家は、将来売り買いするなどとは夢にも思っていなかったでしょう。しかも、建てた後になって、後出しジャンケンのように建築基準法という法律ができて、建物は役所に正確な情報を登記せよと理不尽なルールを押し付けられる始末です。
大工さんのセンスと経験で建てた伝統の木造建築を「既存不適格物件」などと称され、さぞ面白くない思いをしたことでしょう。
法律がアクセルとブレーキに
これは現代において、銀行の住宅ローンが通らない一因になっています。銀行の審査部は「既存不適格物件」の理屈などは理解せず、それを堂々と「違法建築物」として扱います。
実は現在の空き家問題の対象とされる多くが、この時代に建築された家なのです。国の法律や制度が逆に縛りとなって、空き家問題の一因を作り出しています。わかりますか?あなたたちが今の空き家問題を作り出しているんですよ。「既存不適格物件」の存在と、自由経済に任せっきりの状態を長きにわたって放置してきた結果です。
では次の世代が建てた家はどんな家でしょうか?だいたいにおいて建築基準法ができた後に建築されたものなので、法律を守って建ててますよー、という証明書とも言える書類が付与されています。売買するとき、住宅ローンを組むときにはこれが性能保証のような役割を担います。
この時代の家は、ある意味、中古物件市場では扱いやすい建物と言えるでしょう。だから、空き家問題の中心からは、よっと距離を置くことが出来ています。でも本当はもっと根の深い建築技術面の問題はありますが、今回はスルーされてもらいます。
その次の世代が建てた家は、すみません、コメントが難しすぎます。しかし、30年後、今の空き家問題より、もっと深刻な事態になると僕は思います。それは法律の形骸化が招いたハード的な問題の複雑化によって、です。
やっと、プロジェクトの中身です
前置きが長くなってしまいましたが、この記事の本題に入ります。
僕の自宅の目と鼻の先に、以前から気になっていた空き家がありました。推定築90年以上。おそらく、通常の売買では成立が難しいほどの状態であると想像していました。古民家が好きで、大規模修繕を前提とした購入を検討している人にとっては、そう高いハードルとは思いませんが、そうした人を見つけるのは一苦労ですし、町の不動産屋さんが積極的に買い手を見つけるとは到底思えません。
ここは自分が動いて何とかするしかないと思い、知人の協力も得て、この物件を取得して、荷物撤去から内装解体による建物診断、そして若干の補修、既存の図面化などの作業を行い、安心して買ってもらえる状態まで辿り着きました。今回は、2024年元旦の能登半島地震による被害を受けて、かなりの作業を強いられることになりましたが、それでもこの物件を気に入ってくれる人を見つけることができました。
その人とは、実は何度か一緒に仕事をしたこともある知人の庭師さんです。自らがデザインし、それを自らが施工して、一気通貫による世界観を生み出す素晴らしい庭師です。そのセンスに惚れ込み、僕も今まで何度か仕事をお願いしました。その人は、射水市在住の山﨑広介さん。演劇の俳優もこなすアーティストです。ご自身のブランディングの重要性を感じており、自分の内なる世界観を表現できる場が欲しいというビジョンを聞いて、この物件を紹介させてもらったところ、その実現に対しては申し分ないとのことで、内見をしてすぐに決断に至りました。
僕がこの物件が素敵だなと思った理由の多くが、ちょうど宮(神社)の斜め前で、ただならぬ空気が周辺に漂っていることです。山﨑さんも同じようなことを感じたようです。南からの日差しも実に気持ち良いです。庭師のオフィスであり、自分の世界観を表現するギャラリーでもあるという、場づくりのコンセプトにはピッタリの雰囲気だと思いました。
内川沿いおよび周辺では、10年間で30軒を超える空き家リノベ拠点が増えたという流れがあるなか、山﨑さんが創造する拠点は、今まであまりないタイプのコンセプトです。
また、ご近所にいい場が出来そう
幸いにも、地元金融機関である新湊信用金庫が国直轄のMINTO機構のまちづくりファンドを創設することが決まり、このプロジェクトが対象地区の第一号案件に決まりました。とても良い流れです。
この物件は、登記上2つの敷地にまたがる長細い、土蔵付きの町家スタイルですが、北側は防災のための再開発地区に面しています。ちょっと今までのない条件下のリノベーションに、僕も心躍ります。あらためて思うと、企業のオフィスは、妻の町家オフィス(ma.ba.lab.)のプロデュース以来で、妙な緊張感を抱きます。でも大丈夫、大丈夫、僕たちの得意分野です。僕は、山﨑さんの仕事の価値が高まり、依頼が殺到する未来を想像してデザインしました。ワクワクが止まりません。
マチザイノオト、実に2年ぶりの更新です。この間、考えることが沢山ありすぎて、記事を書く気持ちになりませんでした。しかし、山﨑さんのプロジェクトを機に、気持ちを切り替えることができました。ありがとう。めっちゃ素敵な空間にしますので、覚悟しておいてください(笑)
明石 博之
[組織] グリーンノートレーベル(株)
[役職] 代表取締役
[職業]場ヅクル・プロデューサー
1971年広島県尾道市(旧因島市)生まれ。多摩美術大学でプロダクトデザインを学ぶ。大学を卒業後、まちづくりコンサル会社に入社。全国各地を飛び回るうちに自らがローカルプレイヤーになることに憧れ、2010年に妻の故郷である富山県へ移住。漁師町で出会った古民家をカフェにリノベした経験をキッカケに秘密基地的な「場」をつくるおもしろさに目覚める。その後〈マチザイノオト〉プロジェクトを立ち上げ、まちの価値を拡大する「場」のプロデュース・空間デザインを仕事の軸として、富山のまちづくりに取り組んでいる。
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