氷見の天然温泉で、ポジティブな車イスの旅を マチザイNo.16

赤い屋根が目印、里山にある温泉宿

こちらは、富山県氷見市の里山にある、創業平成元年、源泉かけ流しの天然温泉が自慢の民宿<湯の里いけもり>です。
この宿の一部をリノベーションして、ユニバーサルデザインの宿泊施設としてリニューアルオープンする計画です。
マチザイノオトで宿泊施設を手がけるのは、これで4軒目となります。

ちなみに弊社<グリーンノートレーベル株式会社>が自社企画、デザイン、運営している宿<水辺の民家ホテル>での経験は、宿泊施設のプロデュースにおいて、本当に役立っています。リアリティのある計画ができるのも、自分たちで苦労しているからです。単なる苦労だと、あまりにも報われません!せめて、人様の役に立てば幸いです。本当に。

氷見市は漁港を中心とした市街地から、田畑が広がる中山間地、そして大自然が広がる山間地までが、約3km~5kmまでの距離にぎゅっと詰まったコンパクトなまち。その魅力は、以前のマチザイノオトで紹介いたしました。ぜひ、以下のページをご覧ください。

リンク:【寒ブリだけじゃない氷見のまちと暮らし マチザイNo.4】

プロデュースのご依頼を頂いたのが、2021年の春。はじめて宿におじゃましたとき、コロナ禍で多くの宿が苦戦しているにも関わらず、日帰り客の方々が温泉や食事の利用をされている様子が印象的でした。遠方からのお客さんが少なくても、こうして地元の方に支えられているんだなぁと、なんだか温かい気持ちになりました。

はじめておじゃましたときに一番印象に残ったのが、この屋根瓦の色です。北陸地方の伝統的な屋根瓦と言えば黒色ですが、この建物の瓦は少し茶色かかった赤色。グーグルアースで上空から見てみると、この宿がすぐに発見できますよ。商売的な戦略だったのでしょうか?

正面玄関の左手には、食事や休憩ができる広い縁側のような場所があります。建物の雰囲気を格段に良くする、なかなか素敵なファサードデザインです。ちなみに、この場所が打合せ場所の定位置となりました。

こちらが宿の既存図面です。一応「民宿」という定義に当てはまる宿だと思うのですが、いわゆる「民宿」が持つこじんまりとした建物の印象ではなく、大広間や広々した大浴場、露天風呂がある宿です。というのも、最初は正面玄関のある母屋だけだったそうですが、次第に増築をして規模を大きくしてきたそうです。
今回のリノベーションする区画は、1階の東側(右側)、渡り廊下でつながった増築部分です。

民宿の楽しみは、なんと言っても郷土料理

漁業が盛んな氷見では、民宿業が地域的に根付いていて、観光客は海の幸が存分に楽しめる食事を目当てに泊まりに来ます。
宿泊業を営む施設としては、市内に50軒近くあると言われ、その多くが民宿です。
民宿のそもそものはじまりは、民家の使われていない部屋を旅行客に貸し出し、家庭的な料理を振舞う、まさに「民家の宿所」でした。
そのなごりがあってか、民宿での楽しみが家庭的な郷土料理というイメージが強いと思います。

今まで色々な地方の民宿に泊まりましたが、15年くらい前までは、素泊まりで予約できる民宿は多くありませんでした。ところが最近では、宿泊分離の宿も珍しくありません。旅行体験のなかで「食べる」と「泊まる」を別々のものと考えてプランを立てる方が増えてきました。

こちらは人気のお昼の御膳です。氷見漁港で揚がった新鮮な海の幸をつかった豪華な料理です。日帰り客の方にも提供しています。近所にあったら、間違いなく通ってしまうことでしょう。

<湯の里いけもり>の場合、リニューアル後の食事の提供はどうするのか?ですが、個人的には、この美味しい料理を楽しみに来るような宿になってほしいと思います。
多くの宿泊施設が、調理人探しに苦戦しているなか、なんと社長ご本人が料理人なのです!こんなにアドバンテージがある宿が、他にどれほどあるでしょうか?
この事実を最初に知ったとき、思わず「ヨッシ!」とガッツポーズをしました(笑)

ユニバーサルデザインの宿とは

段差解消とか、手すりの設置とか、そういったハード的な問題解決手法が「バリアフリー化」です。そこにさらに「誰もが恩恵を受ける」といった趣旨を盛り込んだのが「ユニバーサルデザイン」という考え方です。もの凄く簡単に表現しますと、身体が不自由な人と、そうでない健康な人とが、同じように利用や活動できるよう工夫されたデザインのこと、だと言えます。
例えば、福祉施設等に見られるように、単純にバリアフリー化してしまうと、逆に健常者が使う場合の機能や、見た目の美しさが劣ってしまうケースがあります。
そこでプロダクトデザインや建築デザインの業界で言われるようになったことが「障害を持った人が便利なものは、そうでない人が使うともっと便利なはず」という発想です。

<リノベーションの対象エリア内の通路>

ご覧のとおり、廊下にも段差があり、部屋ごとに床の高さも異なります。フラットな床をつくるには、なかなか手ごわそうです。既存の建物の床の高さを揃えるには、床下の床組みから作り直す必要があり、それなりに大変な作業となります。

<6畳の和室の客室>

現在のお部屋は、6畳のこじんまりした和室だったり、15畳の広間だったりと、多種多様な客層を受け入れることができる間取になっています。こうした部屋を、日帰り客の食事場所として利用されていました。ナイスアイデアです!
ところが、6畳の和室は、車いすで旅をしたい人にとっては、少々狭くて動きにくい空間なのかもしれません。

<本館に向かうメイン通路>

現在のような営業スタイルでも十分にやっていけると思うのですが、ご依頼主である池森さんご夫婦は、宿を創業した先代からちょうど代替わりをして間もないこの時期に、コロナ禍を体験されたことで、今後の宿の未来について考えたそうです。その方向性として導き出されたのが、料金の高単価化と建物のバリアフリー化でした。

その背景には、一人一人、一組一組、今よりさらに丁寧でこだわりを持ったおもてなしが出来る環境をつくり、運営リソースを「上質化」に向けることで、過度な負担を強いられるマーケットから抜け出したいという思いがあるからだそうです。

日本人の多くは、素泊まりで「ひとり一泊10,000円」という価格が、無意識のうちに壁となり、ある種の基準となり、高い安いの単純な目安のようになっていて、宿もゲストも、この呪縛から抜け出せないでいるのではないかと思います。飲食店で言えば、「ランチ2,000円」がなかなか超えられない価格の壁になっているような気がします。(わたしだけかな?)

<ホッと一息できる、共用空間>

最近、「ユニバーサルツーリズム」という言葉をよく耳にするようになりました。
高齢や障がい等の有無にかかわらず、すべての人が楽しむことができて、誰もが気兼ねなく参加できる旅行のことを意味しています。ユニバーサルデザインの宿は、その旅の満足度を大きく左右する大事な拠点となります。もっと言うと、安心して泊まれる宿があってこそ、ユニバーサルツーリズムが成立するのです。

世界人口における身体的ハンディを持った人(以下、ターゲット層)の割合は約15%と言われ、人数にすると約10億人に当たります。その家族や友人など、近しい関係者に該当者がいる人は実に約50%、その購買力は8兆ドルとも言われています。(日本財団調べ)高齢化社会に伴う国内旅行需要が先細りすると見られる一方で、潜在的なユニバーサルツーリズム需要は増えていくと予想されます。

宿が、来てもらいたい客を意識する大事さ

近年、インバウンド需要により日本の観光は右肩上がりの成長ぶりでした。そのため、国内の多くの宿泊施設は「外国人に喜ばれる宿」を目指して投資し、新しい宿泊施設の建設も活況でした。
ところが、コロナ感染拡大によって、インバウンド需要は世界中から蒸発したかのように消えてしまいました。一方で感染対策を行った「近場の旅行」が見直されるようになり、多くの宿泊施設は身近にあるマーケットの存在を再評価したはずです。

<団体向けのステージ付の大広間>

この経験を通じて、地域観光客やインバウド需要だけに頼ることなく、もっと宿側が主体性を発揮して、「来てもらいたい客」をしっかりと意識し、そこへ向けた取組みにもっと情熱を傾ける必要があることを再確認できました。

<湯の里いけもり>も同じく、時代の変化に対応しつつも、市場をもっと正確に意識し、どんな状況になっても宿を利用してくださる「顧客基盤」をつくるため、新分野の展開を必要としています。

池森さんご夫婦は、従来型のいわゆる「地域観光」のおこぼれに頼る宿や、温泉や海の幸の料理等のわかりやすいコンテンツに頼る宿は、近い将来淘汰されていくと確信しています。

「湯の里いけもり」の底知れぬポテンシャル

先ほど、社長自らが料理人というお話をしました。しかも、創業者の会長と女将、そして池森さんご夫婦、娘さんの家族三代で経営されています。
これからのリニューアルにあたって、こんなに心強い事はありません。一方で、地元の方をはじめ、リピーターの方々に支えられていたとしても、現在の利益率では、家族が一丸となって頑張っていても、頑張った分の実感が得られないそうです。さらに、増築を繰り返してきた建物は、あちらこちらが傷んできており、対処療法的な修繕を繰り返していることが経営的にも無視できない出費となってきたようです。

<本館の受付ロビーは、今回のリノベ対象ではない>

要介護者の旅行実態を調査(要介護者の旅行の実態と介護者の意識(2013年 水野映子氏))によると、要介護者の旅行で一番楽しみにしていることが「温泉浴」、次に「自然の風景を見る」という結果になっています。この宿は、それらのどちらのニーズも満たしており、実際に「旅の手帖mini 達人の秘湯宿」のベスト64軒のなかに選ばれたほど、里山の自然環境に恵まれた露天風呂の存在が宿の強みです。
また、泉質が良く肌がつやつやになる美人の湯として知られていることから、毎日のように通ってくださる地元の女性も少なくありません。

基本構想の早い段階において、どんな形であろうと、ユニバーサルデザインの宿に変容しても、このポテンシャルは良い方向に活かされると確信しました。

マチザイノオト的、リノベコンセプト

<左が本館、右が増築した離れの棟>

まず初めに考えたことは、「宿の経営を続けてもらいながら、リノベーション工事をする」ということです。お客さんの流れが途絶えていない宿ですから、休業期間を作らないほうが良いと思いました。
しかし、果たしてどうやってそれを実現するか、色々と悩みましたが、最後は増築した棟の裏手が道路とつながっている事に糸口を見つけました。つまり、現在の宿の「裏手」に、リニューアルする区画の専用玄関をつくるというアイデアです。

そうすることで、大浴場を含む本館の営業を続けながら、完全に隔離した区画のなかでリノベーション工事を行うことができます。その間、部屋数が減るので、その分の売上も減ってしまうのですが、まったく収入がないという事態を回避することができます。

<洗濯室を兼ねた裏手の出入り口>

こちらが、その専用玄関にしてはどうかと考えた場所です。裏山に続く、本当の「裏手」です。
現在は洗濯室として、またクリーニング業者さんに洗濯物を持って行ってもらうためのバックヤードとなっています。さらに、ボイラー室へ行くための最短ルートとして、普段から会長が出入りしている通路になっているため、ここを玄関にした場合の代替ルールが必要となります。

また、そもそも、ユニバーサルデザインをウリにしようとしている宿の玄関が、こんな坂道を上った場所にあること自体がどうなのか?車いすを利用する人が、自力でこの坂を登ることができるのか?
現状では、しっかり舗装もされていないデコボコの斜面なので、ここをアプローチとして成立させるためには、いったいどうすれば良いのか? 沢山の問題が浮上してきます。

<本館と離れの間にある中庭>

そして、宿自慢の温泉については、ハード的な問題をクリアすることができずに、どうしても車いすで大浴場まで行くことができません。段差解消や階段昇降機、浴室内のリフト装置など、色々な方法はあると思うのですが、それはちょっと方向性が違うと思うのです。

そこで考えたのが、この中庭の空間に、新たに温泉が楽しめる露天風呂をつくることです。しかも、車いすでそのまま入浴できるような方法を考えました。もちろん、それなりの投資が必要になりますが、新しいマーケットを開拓するために、そこまでやる価値は十分あると思いますし、夜空がきれいに見える環境にある宿なので、その投資価値を最大限活用できると感じました。

<宿の背後には、程よい自然環境がある>

今、マチザイノオトのチームは、ワクワクしています。このようなチャレンジングな取組みに関わることができて、本当に幸せです。
制限や問題があればあるほど燃えてきます。まずは、基本構想をしっかりと練ること。池森さんたちが「これだったら頑張れる!」と思って頂けるプランにすること。もちろん、ゲストの体験価値をどうやって高めるかの工夫、安心して滞在してもらえるような設計、心を豊かにする上質なデザイン、すべてにおいて、1mmたりとも手を抜きません。

今から約20年前、なぜか思い立ったように福祉住環境コーディネーターの勉強をして、資格を取りました。学生のときにプロダクトデザインを勉強するなかで、もっとも印象に残っている授業が公共施設の福祉デザインや、ユニバーサルデザインでした。人との出会いがすべてのご縁ですが、図らずも、自分がこうして、このようなプロジェクトのプロデュースをさせて頂いていることを不思議に思います。

ユニバーサルツーリズムに興味を持って以来、時折、車いすで旅をする人々のブログを拝見していました。そして、車いすでの移動を余儀なくされている人々の多くは、わたしが考える以上にアクティブで、ポジティブな感情をもって、旅を楽しんでいるとわかりました。もちろん、全員ではないと思います。しかし、多くの公共施設や宿のバリアフリー化が、数少ないメーカー商品をそのまま利用し、教科書通りのレイアウトがされていると感じています。この宿は、そうならないようにしたいです。旅という体験が持つワクワクする気持ち、冒険したいという好奇心を大事にしたいと思います。

新しいプロジェクトのスタートです。今後の記事更新を楽しみにしてください。


明石 博之

[組織] グリーンノートレーベル(株)
[役職] 代表取締役
[職業]場ヅクル・プロデューサー

1971年広島県尾道市(旧因島市)生まれ。多摩美術大学でプロダクトデザインを学ぶ。大学を卒業後、まちづくりコンサル会社に入社。全国各地を飛び回るうちに自らがローカルプレイヤーになることに憧れ、2010年に妻の故郷である富山県へ移住。漁師町で出会った古民家をカフェにリノベした経験をキッカケに秘密基地的な「場」をつくるおもしろさに目覚める。その後〈マチザイノオト〉プロジェクトを立ち上げ、まちの価値を拡大する「場」のプロデュース・空間デザインを仕事の軸として、富山のまちづくりに取り組んでいる。

■ 関連記事