広島風お好み焼き屋&我が家のリノベ、同時スタート

お好み焼き屋になる予定の、内川沿いの番屋(漁師さんの作業小屋)です。きつい傾斜になっていた床を水平にならして、コンクリートを打ちました。(と言っても、2019年10月に、お好み焼き屋はすでにオープン)

同じ内川沿いにある「Bridge Bar」と同じように、内川沿いの多くの町家は表通りと川沿いの高低差が、2メートル近くあります。ここも同様、長い建物のどこかで高低差の帳尻合わせをするために、段差があったり、途中に坂になっていたりと、何かの造作がされてありました。平らな地面とは違い、こんなところにコストがかかってしまうのです。この土間打ちまでの作業で、予想以上の費用がかかってしまいました・・・。

こちらは、我が家となる空間です。ここはキッチンとダイニングになる予定の場所。同じ通りの並びにある事務所、ma.ba.lab.と間取りが瓜二つ!!仕事をしている場所と、帰ってくつろぐ場所の間取りがそっくりだと、マンションの隣の部屋に移動した、みたいになることでしょう。出来る限り、雰囲気を変えなくては!

オフィスma.ba.lab.と同じく、長い長い廊下が続いています。かつてのオリジナルの町家造りは、ここが土間になっていて、下足のままで内川まで物を運んだり、獲れた魚をここまで持って来たりする通路として利用されていました。いつしか、土間の通路が板間の廊下となり、今のような普通の廊下になりました。

左に見える波トタンの壁は、お隣さんの外壁です。化粧板をはいでみると、土壁はなく、断熱材も入っていません。ほぼ外気と同じくらいの室温だったんじゃないかと想像します。古民家が寒いと言われるのは、手抜きリフォームによって、こういう仕上げをしている箇所が多いからです。

A4サイズよりも少し大きい「角2」封筒が入らない、昔の小さい郵便受け。でも、デザインが可愛いからこのまま使いたいと考えています。このあたりの町家は、玄関脇にある「さまのこ(千本格子)」の側面に、このようなタイプの郵便受けの口があります。ここに郵便物を入れると、内側の出窓のようになっている場所に落ちる仕掛けです。

ここは、内川沿いに面したお好み焼き屋のある建屋の2階部分(番屋)です。店舗の真上ではないのですが、しっかりと壁の密度を上げないと、お好み焼きの臭いで充満した部屋になってしまいそうです。屋根までが非常に高い空間になっているのは、長細い町家造りならではの光景です。全部を吹き抜けにしてしまうと寒くて生活できないし、でもせっかくのこの空間を活かさない手はないです。

母屋の2階も同じく、高い吹き抜け空間が広がります。約100年もの長い時間のなかで、建物自体を増築したり、二階部分を造ってみたり、解体してみると、ゾッとするようなリフォーム跡がぞくぞくと露わになり、際どい構造で保たれている場所を沢山発見しました。

こんなとき、大工さんの見立てには大変感心いたします。感覚なのか、経験なのか、その両方からのアプローチなのでしょうが、「これは大丈夫」とか、「ちょっとヤバそう」とか、躯体となる木材の状態や太さによって、適切な補強の方法を考えます。やりすぎかな?と思う部分もあれば、これで大丈夫なの?と心配になる部分もある。でも、全体のバランスもしっかり見ているのだと思います。

ここは完全アウトです。お隣さんとの境界に雨が降り注ぎ、壁の中の見えない柱と梁は、もうボロボロに朽ちています。大工さんの判断により、4坪ほどのこの空間にある梁と柱を総入れ替えすることにしました。もうちょっとで、2階の床が崩れ落ちそうなほどの状態でした。昭和のリフォームの跡は、本当に厄介です。問題のタネを、壁のなかに封じ込めてしまうのですから。

中庭をはさんで見える建屋は、土蔵を覆う屋根と壁です。手間の物干し台は危険なので撤去します。土蔵の建屋を含め、中庭の下屋、母屋も番屋も全部!!瓦はもちろん、屋根の構造全部を総入れ替えすることに。あぁ、でかい出費です。屋根を支える垂木と呼ばれる部材を太く、間隔を短く、下地もしっかりした板に入れ替えます。ついでに部分ですが、断熱もします。

おや、また朱色の床の間の壁です。
新湊の流行りなのでしょうか?この時代の町家で、かつ富山の海沿いの地域では、この色の床の間をよく見かけます。氷見、伏木、新湊、四方地区あたりまで。残念ながら、この壁は壊してしまうのですが、モチーフとしてどこかの壁に、こういった色を使いたいと思います。

工事は、順調に進んでいますが、マチザイノオトに記事をアップするのが遅れ遅れとなっており、まったく鮮度がございません。


明石 博之

[組織] グリーンノートレーベル(株)
[役職] 代表取締役
[職業]場ヅクル・プロデューサー

1971年広島県尾道市(旧因島市)生まれ。多摩美術大学でプロダクトデザインを学ぶ。大学を卒業後、まちづくりコンサル会社に入社。全国各地を飛び回るうちに自らがローカルプレイヤーになることに憧れ、2010年に妻の故郷である富山県へ移住。漁師町で出会った古民家をカフェにリノベした経験をキッカケに秘密基地的な「場」をつくるおもしろさに目覚める。その後〈マチザイノオト〉プロジェクトを立ち上げ、まちの価値を拡大する「場」のプロデュース・空間デザインを仕事の軸として、富山のまちづくりに取り組んでいる。

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