内川で貴重な存在、漁師の番屋が宿になる マチザイNo.19

ずっと心配してきたことが、希望へ

とても嬉しいことが起こりました。かねてからの大きな心配事が、一転して希望に変わりました。はじまりは2019年の春。本来であれば、楽しいばっかりの新しいプロジェクトがはじまるというタイミングで、すでに憂鬱になっていた懸案事項でした。それは「水辺の民家ホテル」がオープンして間もなくして再認識した、ダイニングから見える素敵な漁師町風情の持続可能性です。借景として見える対岸には、廃業してしまった網元さんの漁船と番屋(作業小屋)があって、それがまた良い雰囲気を醸し出していたんです。

【リンク】:水辺の民家ホテル、オープン

価値に気づいてしまうことは、問題意識が生まれてしまう瞬間でもあります。これがその良い例です。素敵だと感じる瞬間、その存在のはかなさにも心を寄せてしまう、そんな複雑な思いで対岸の景色を眺めてしまう毎日がはじまりました。ある日突然、解体業者のトラックと重機が番屋の前に並ぶ光景を目にするのではないか、そんな心配が襲ってきました。

廃業した網元さんが所有していたのは、3つの建物と空き地。内川の漁師町風情に大きく貢献している存在です。定置網漁の大きな漁船も3隻、内川に係留したまま残っていました。年季が入った船体は傾きつつも、力強い浮力を有した海のヘラクレスのようです。大雨が降ったときは、関係者の方だろうか、何人かの人々がやってきて雨水をかき出している場面にも遭遇したことがあります。

その心配が半分だけ現実になってしまったのは、2021年だったか、富山県が内川沿いの所有者不明の船を処分するという行動に出ました。おそらく、この漁船の存在とは違う観点で問題指摘のあった船の撤去がされ、その巻き添えを食らったんではないかと想像します。対岸に並んでいた漁船が無くなったことで、対岸のコンクリート護岸があらわになり、すっかり無味なさっぱりとした景色になってしまいました。

この喪失感は、マチザイノオトにかなりのハードインパクトをもたらし、心に火をつけるキッカケとなりました。もし、対岸の番屋群が無くなってしまえば、内川の漁師町風情が素敵だ、なんて言葉が出てくる自信はありません。それからすぐに、役所に行って登記簿を取り寄せてみました。しかし、そこに書かれている近所の住所に所有者と思われる人が住んでいないのはすぐにわかりました。周辺の聞き込みをはじめてみると、廃業した物件だから色々所有権などが面倒なことになっているという噂を耳にするようになり、なるほど、この物件の利活用の話がまったく浮上しない理由も納得できます。実際に登記簿にも、そのような履歴が残っていましたし…。

マチザイノオトの調査はいったんここまで。さらに突っ込んでいくにはそれなりの覚悟と、動機が必要だと思い、ヒートアップした気持ちをいったん静めて、来るべきチャンスのために心の準備をしておこうと思いました。

思わぬ方角からやってきた希望

記憶が定かではありませんが、たしか、2023年のことだったと思います。東京で居酒屋を営んでいる店主さんが、富山の漁師町で店を開きたいという夢を実現したいと、友人と一緒に富山を視察することになり、その1つの候補として魚市場がある新湊に遊びにきてくれました。その日は「水辺の民家ホテル」に宿泊されました。翌朝、部屋に行ってご挨拶し、ダイニングに座って少しお話をしました。視察の主体者である店主さんは、古民家をリノベーションすることにイマイチ、ピンときてなかったようですが、付き添いで一緒に来ていた友人はそれとは逆に、この町の雰囲気が良いと、とくに朝の空気が気持ち良いと、そんなことを語ってくれました。東京で不動産の仕事をしていて、古民家に興味があると聞いていたので、調子に乗って、対岸の番屋の話を持ち出してみました。

内川沿いの番屋は特別な存在で、目の前の番屋群が無くなると、漁師町風情も保つことができなくなるという話をすると、その友人は「地域のシンボリックな建物を取得して、地域に貢献する事業をする仕事をしていて、目の前の番屋は気になっていた」と、思わぬ反応が返ってきました。「さすが、お目が高い!」…とは言っていませんが、“地域のシンボリックな建物”に匹敵する価値がある、そう思ってくれる人がいることに勇気と希望をもらいました。

こういう方角から可能性の扉は開かれるのか…と、ここで宿をやっている意義を感じつつ、感慨深い気持ちを噛みしめました。そうだった、人との出会いからすべてがはじまるのです。

受け継がれることが決まった

結論から言うと、受け継がれることが決まりました。対岸に見える貴重な漁師町文化の象徴、番屋たちが存続することになりました。くどいようですが、今注目が高まっている内川沿いにある建物が、なぜこの日まで誰も関心を持たなかったのか、不思議でなりません。本当に、不動産登記簿に記載された諸々の情報から来るイメージが、そうさせたのかもしれません。であれば、今となっては感謝に値します。

所有者の家族であろう方が住んでいる家に何度行っても会えない、置手紙をして帰っても連絡がこない、そんな日々が続いたので、せめて何か情報はないかと、抵当権について銀行に行って調べてみると、単に解除するのは忘れただけという事実が発覚。銀行から感謝されました。

待つこと数カ月、やっと所有者さんから電話がありました。所有者の方は、床を埋め尽くすほど、漁業の道具や資材がぎゅうぎゅうに詰まって、処分に困っていたし、まさか建物を売却できるとは思わなかったそうです。

そして、こうした建物だからこそ気に入った!という方が現れたわけですし、必然性のある偶然というか、今回も良い物語が出来そうだなと心温まる気持ちでいっぱいです。

さて、先ほどから登場している「店主さんの友人」とは、合同会社ひと・いき 代表の赤間遼太さん。ご夫婦がいつも通っている居酒屋の店主さんのことが心配で、一緒に富山に来たのがキッカケですが、結果的に付き添いで来た友人、赤間さんが今回の一件の当事者となってしまいました。不動産事業をやっていて、もともと地方活性化に興味があり、漁師町も好き、という人物だったからこそ生まれた奇跡です。

ちなみに、網元さんが持っていた番屋や土蔵などの建物3軒、空き地1カ所を全部、受け継ぎました。ありがとう、そして、ありがとう。さらにありがとう。

ここからはじまる長い道のり

シンボリック!ゆえに、目立つ。番屋の対岸には、内川沿いで利用率の高い場所の1つ、奈呉町観光駐車場の休憩場があります。ここから、この番屋の様子がよく見えるので、何かがはじまったら、何か動きがあったら、良い意味でも悪い意味でも噂はすぐに広がりそうな場所です。クルマを降りて内川に向かい、最初に目にする光景のなかに、この番屋群があります。その見た目はとても印象深く、このまちなみのアイデンティティ形成に一役買っている大事な建物です。

これからはじまる長い道のりの第一歩は残置物の処分から。漁業の道具は特殊なものが多くて、分別が大変です。一般廃棄物では処分できないものも沢山あり。漁業のかつての記憶を残すために保管しておきたいものもあります。赤間さんはまず、東京チームも含め、地元でも有志を募って、荷物の分別、保管と処分の作業からはじめました。案の定「あそこで何かやるんがけ?」(※すんません、間違った富山弁であればご指摘を!)とご近所での会話をキャッチしました。

さて、ここが何になるかは詳しいことは後述するとして、番屋のように地場産業の歴史や文化を伝えることができる建物は、これからどうあるべきなのでしょうか?再び、漁師さんの作業場として使われるのがベスト!!活かされないままの状態は寂しいですが、どんな使われ方でも良いとも思えません。願わくば、多くの人が、できればまちの文化に関心があるような人が、元番屋の空間を体験できるようになってほしいものです。

長い道のりの途中には、どんどん厳しさを増している資金調達という壁があります。昨今の建築事情からすると、それ相応の予算を覚悟する必要があります。その一方で、資金調達の方法も多様になってきました。赤間さんは今回、色んな合わせ技を計画しました。地元金融機関である新湊信用金庫が国直轄のMINTO機構のまちづくりファンドを創設し、マチザイNo.18が第一号案件に決まりましたが、赤間さんのプロジェクトは第二号案件に決まりそうです。また、不動産に特化したクラウドファンディングも活用予定です。

【リンク】:「AKAMA富山プロジェクトキックオフ!新湊の魅力を体感ツアー」(2024年8月)

さて、ここは何になるのか?

タイトルですでに表明していますが、この元番屋は宿になります。一棟貸しの宿泊施設です。2025年現在、内川沿いの宿泊施設は4軒(水辺の民家ホテル、さとみんぷれいす、奈呉の家、禅楽)それから移住体験施設が2軒です。宿を経営する僕の感覚からすると、この倍、8~10軒ほどあっても良いような気がしています。宿は金曜、土日、祝日に予約が集中しますが、地域的なキャパとしては不十分です。資金と人手の都合さえつけば、弊社でもう1棟欲しいくらいです。

あとは、6名以上で泊まりたい方が意外と多い事実。「水辺の民家ホテル」は4名定員と2名定員ですから、両棟使えば一応6名ですが、ニーズのど真ん中には対応できていません。同じ屋根の下に6名というイメージの宿泊スタイルが可能な宿はは富山県内においても、意外と少ないのです。赤間さんの宿は定員、なんと10名です!!と言っても、実際は8名くらいがちょうど良いかもしれません。

赤間さんは現在、鎌倉で宿を経営されています。時間軸で整理すると、内川の番屋を受け継ぐことが決まったときは、まだ鎌倉の宿はスタートしていませんでした。最初の宿プロジェクトが鎌倉で、その次が内川となります。番屋をリノベした宿泊施設がオープンすると、鎌倉で泊まった人が内川へ、内川で泊まった人が鎌倉へ、という相互交流が起こる可能性があります。今から楽しみです。

【リンク】:AKAMA鎌倉(2024年オープン)

何と言っても、対岸にそれぞれ伝統建築の建物をリノベした宿がある光景にワクワクが止まりません。漁師が住んでいた町家が「水辺の民家ホテル」に、漁師の番屋がAKAMAプロジェクトの宿に。この辺りの質感がぐっと上がることは間違いなく、広い視点では地域的なサービス価値が上がると言えます。きっと波及効果があると思われます。

小路をつくる建物でもある

マチザイノオト的に嬉しいことがもう1つあります。それは、この番屋の隣に路地が、地元で言うと「小路(しょうじ)」があることです。つまり、今どんどん失われている小路の空間も一緒に残すことができるということです。屋根の破風とか、錆びてボロボロになったトタン壁とか、もう限界を迎え、ボロボロと落下していて危ないなーと思っていたので、タイミング的にも本当にちょうど良い感じ。

実は、小路に面した宿という点では、「水辺の民家ホテル」も同じ。この建物がある限り、小路の素敵空間も存在するという方程式です。マチザイノオトとしては、1粒で2度美味しい、と言えます。最近ほんとうに「価値、価値」っていう言い方をする人が増えていますが、それだけ大事なワードだと思うんです。小路が残らないのは価値が見えない、理解できない、実感としてわからないからだと思います。実態として見えるのは“細い道”がせいぜいで、はい、それ以上の価値がありますか?と言われてしまいそうです。

多くの場合、文化的な価値は見えづらい問題を抱えていますね。理解するのは視覚的な情報ではなく、理屈でもなく、情緒的な感性によるものなのかもしれませんね。感じてもらう、そのためのデザインなのです。できれば文学的な表現にも助けてもらいたいのですが、僕にその才能はありません。

素敵な宿づくりに参加できる幸せ、赤間さん、ありがとうございます。一緒に頑張りましょう。

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明石 博之

[組織] グリーンノートレーベル(株)
[役職] 代表取締役
[職業]場ヅクル・プロデューサー

1971年広島県尾道市(旧因島市)生まれ。多摩美術大学でプロダクトデザインを学ぶ。大学を卒業後、まちづくりコンサル会社に入社。全国各地を飛び回るうちに自らがローカルプレイヤーになることに憧れ、2010年に妻の故郷である富山県へ移住。漁師町で出会った古民家をカフェにリノベした経験をキッカケに秘密基地的な「場」をつくるおもしろさに目覚める。その後〈マチザイノオト〉プロジェクトを立ち上げ、まちの価値を拡大する「場」のプロデュース・空間デザインを仕事の軸として、富山のまちづくりに取り組んでいる。

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